最近、やたらと若手・中堅との会議の中で、「XXだと思っていて〜」という言葉を聞きますが、これがまぁうざい。
今回はこのウザさの原因と効果的な使い方を独断と偏見で語りたいと思います。
他に考察されてる方々は「思っている」と言うことで、断定せず責任を回避しようとしているところがウザく感じるなどの意見もありましたが、私が感じるウザさはもっと別のところだったので分析。
特に今回は「格下の相手が使う場合のウザさ」に主軸を置きます。
格下というのは、役職ではなく「スキル・知識的な面で劣っている相手」とご理解ください。当方、ITエンジニアなので、「若手でも凄い人・技術に追いつけずに中堅でもショボい人」が多い業界です。
そもそもこの言葉は何?
この「だと思っていて」は急に聞かれるようになった言葉なのですが、一体どこから発信されたのでしょうか?
簡単に調べると諸説はあるのですが最も広めたであろう人は、
討論番組とかに出ている論客達
でした。
ひろゆきさんや成田悠介さんのような論客達が持論を展開する時に、「それについては----だと思っていて、というのも----というデータが出ているからです」こんな感じに使っていました。
大体このパターンです。
こちらは結論から話しているという意図があるのかもしれません。「こういうデータがあるので、こう考えています」という意味でしょう。
「だと思っていて、なぜなら----という〇〇の国では----という事実があるからです」こんなパターンもよく見かけました。
こちらは、「え〜!他国ではそんなことになってるんですね!」というサプライズの意図があるのかもしれません。
雑な括りをすると、この言葉には2つの効果のいずれか若しくは両方がありそうです。
- 結論を先に言うことで、スムーズに理解を促す。(仕事の基本でもある結論ファースト)
- 核心に迫る理由を後述することで、相手に驚きを与える(いわゆる、倒置法的使い方)
この言葉が発揮する真の効果
この言葉の効果は倒置法や結論ファーストがありそうだと考えましたが、実際の会話ではもっと別の効果もありそうです。
これは先のように文字で書くとは伝わりづらいのですが、「間の引き伸ばし・自分への視聴率の向上」です。
個人的にはこっちの方がメインなんじゃないかと思っています。
間の引き伸ばし・自分への視聴率向上
この言葉、実際の場面を見てみると分かってくるのですが、「だと思っていて」の後には1拍ないしは2拍の間が入ります。または「というのも」まだ続けてからの拍。どっちで拍を置いたとしても、「まだ続くよ感」は出ています。
通常の会話を考えてみると「だと思っていて」を使った文は以下のように2文化できます。
「それについては----だと思います。(何故なら)----だからです。」
こっちの方が文章としてはスッキリしています。では何故わざわざそんな言葉を使っているのか。
これはもう彼らの職業柄、そうなのではないかと考えました。討論番組において彼等は論客です。
討論という場で文を区切るのは相手に遮られる大きな隙を与えてしまう
のではないでしょうか?
そう考えると
- それは----だと思っていて、というのも----だからです。
- それは----だと思います。----だからです。
この2つには大きな効果の違いがありそうです。討論番組のように相手に被せて話す人が多い場面では、隙を見せると自分のターンを奪われてしまうが、一文にまとめれば遮られづらい。
そんな理由で「発達」してきた表現なのではないかと思いました。
論客達同士で戦う術みたいなものでしょうか。「まだ話続いてるから。話区切れてないから最後まで聞け」そんな意思を感じます。間を引き伸ばし、自分の話を聞かせると。
格下の使う「だと思っていて構文」のウザさ
ここまでで「だと思っていて構文」の3つの効果を妄想しました。
- 結論ファースト
- 倒置法
- 間の引き伸ばし・視聴率向上
格下が使う「だと思っていて構文」のウザさは下の2つが影響してるのではないかと思いました。
つまり、視聴率を向上しつつ倒置法でインパクト与えようとしてる感がウザい
このような話です。
我々は論客ではありませんから、話の視聴率とかは関係ないのです。
お前の話、ドラムロールに耐えられんの?
これはウチの会社だけかも知れないのですが、格下の人が述べる考察や分析・意見って大抵しょぼくないですか?
話を聞いた結果、
- この視点抜けてない?
- 前提間違ってない?
- いや、それは知っとるわ
コレ、よくあるじゃないですか。当人達には申し訳ないけど。
これが個人的考察の結論なんですが、「格下の使う「だと思っていて構文」のウザさの正体とは、倒置法を用いた上で引き伸ばしと視聴率向上を行った結果、もたらされるものがゴミである点」です。
バナナはおやつに入らないと思っていて〜(ドラムロールスタート!)
ドゥルルルルルルル.......
なぜならば......(ババン!!)
バナナは果物だからです。
例えばこう言われた時、
- 別に果物をおやつとして食べてもいいだろ(観点の誤り)
- バナナは野菜だよね(前提の誤り)
- そもそもおやつの定義って何(定義の不確定)
こんな感じで、あまり本質的ではなかったり浅い内容ををドヤってたりするわけです。
日頃感じているウザさというのはこういう事なのではないかという分析でして、言ってる側にそのような意図がなかったとしても会話の間だったりマウントを好む国民性だったりが相まってそのように受け取られることもあるのではないでしょうか。
我々は「だと思っていて構文」をどう使いこなすか
最後に、論客でもなく講演とかもしない我々普通の人は仕事中の会話に於ける「だと思っていて構文」にどう向き合えば良いのでしょうか?
格下が使う場合
そんなわけで、格上と話す時は「だと思っていて構文」は使わない方がよさそうな感じがしてきました。
呆れられるというか、逆に「コイツは引っ張る割に大したこと言わない」のレッテルを貼られて今後の視聴率が下がります。
ただ、使うのを一切やめた方が良いのかというと、そうではないと思います。格下の人もたまには良い事言う時あるじゃないですか。
単純に、「みんながアッと驚くような意見を言う時」は使った方が良いんじゃないでしょうか。
視聴率をグイグイあげて、上がり切った所で本質を突く。聞いてる人は「なるほど確かに」となる。晴れて格下も見直されるチャンスを掴む。
ただし、「いや知っとるわ」となった場合は視聴率下がるので諸刃の剣ですね。
この「なるほど確かに」の度合いは組織や参加者によって違うので注意が必要です。
全体的な会議の前に、チームメンバーの何人かに意見を言ってみて感触を確認すると良いのではないでしょうか。
そこで「おーなるほど」みたいな反応があれば、本番で「だと思っていて構文」を披露しましょう。
格上が使う場合
経験上ですが、格上の人は使わない方がいいですね。
格上から格下に対してって、大体の場合が聴衆である格下は「なるほど確かに」ってなると思うんですよ。どんな話をしても。
そんな関係性があるなかで「だと思っていて構文」を多用すると
「なんかこの人からは「場をぶん回す俺を見て」の強烈な酸味感じるな」ということで、しょっぱがられるというかウザがられる可能性があります。
普段から良い意見言ってれば、視聴率稼ぎしなくても「この人の話は聞こ」となってちゃんと話聞いてくれますから、シンプルに二文化してイヤラシさ無くスパッと話しましょう。
まとめ
今回の話をまとめると、
「だと思っていて構文」を使いこなすのは非常に難しいんじゃないかと思っていて、というのも受け手がどう感じるかを事前に測るのは難しいからです。